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米寿の証 矢葺正男 第一章

  • West Los Angeles Holiness Church
  • Apr 5
  • 3 min read

Updated: Apr 5


私は今年 米寿を迎えました。1953年 学生ビザでハワイに留学し、2年後にロサンゼルスに移り住みました。 学生ビザのまま7年が過ぎ、そろそろ落ち着いてアメリカに住みたいと思い、永住権について友達に相談したところ、「市民権のある女性と結婚するのが一番早い」と教えてくれました。 それで お嫁さんを探しに、はじめに仏教会に行きましたが、出会いはありませんでした。 次にLAフリーメソジスト教会に行くと、教会員の皆様がとても優しく親切にしてくださったこともあって、その時から毎週 教会へ通うようになったのですが お嫁さん候補はなかなか現れませんでした。

それから2ヶ月ほど経ったある日、牧師先生から受洗を勧められました。「私は神様じゃなくて、市民権のある女性を探しにきたんです。それに神様のことや聖書のことは全然わからないし」と即答したのでした。 その後も先生は私の通う学校とアルバイト先に何度も訪ねてこられ、祈ってくださり「洗礼を受けなさい。 洗礼を受けなさい」と繰り返されました。

私は賛美が大好きだったので礼拝に出席していたように思うのですが 牧師先生の熱心さにはどうしたものかと迷っていたところ、「信じるものはすべて救われん」(讃美歌424)という歌詞が私の心の網に引っかかり、「聖書がわからなくてもまずは信じれば良いのだ。それに先生の訪問からも解放されるし」と決心したのでした。

気が変わらぬうちにと教会の方々は思われたのでしょう。 それからすぐに受洗となったのですが、その時の西村牧師の笑顔を 感謝を持って思い出します。それからは間も無く、主は、私のために次のステップをご用意しておられました。行きつけの床屋さんからお見合いの話をいただいたのです。 彼女は帰米3世で、キリスト者ではありませんでしたが、私と同郷の福島県出身ということもあって話がはずみ、私は明るい彼女に一目惚れしてしまいました。彼女も好意をもってくれ、私のビザが切れることもあって数ヶ月後の1962年9月、結婚しました。今年 私たちは結婚62周年を迎えました。神様と歩む人生も62周年です。 ”明るく健康な奥さん、親孝行な子供達と可愛い孫たち、家族を守って 真面目に働きながら、好きな旅行や木工作業を楽しんで…” それがイエス様に出会う前の平凡で自分らしい人生のイメージでした。 そしてすべてその通りになりました。息子は、感謝なことに牧師となり、テキサス州で留学生を対象に教える一方で、弟子訓練のために世界中を飛び回っています。娘は学校で先生をしていますが、5人の孫たちの中には、宣教師を目指す者もいます。

「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16章31節)いつの間にか御言葉通りになっていました。

また 家を購入した時に、主が用いてくださるようにと祈ったのですが、その願いも聞き届けてくださり、教派を超えて多くの牧師先生や伝道師、学生や訪問者の皆様が「ロスの宿泊先」として、あるいは集会場にと用いてくださり、その度に家は祈られ、祝福されて、本当に感謝でした。

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