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証 ウエストロサンゼルス・ホーリネス教会 第五章
最後に教会のため忠実に励んでこられた歴代牧師のリストを掲載する。 日本語部 吉本熊治(1955〜1965) 細見剛正(1962〜1964) 辻本清臣(1965〜1972) 道城献一(1972〜1981) 鈴木栄一(1986〜1996) 西岡善行〈副牧〉(1987〜1996) 古山隆(1996〜2017) 中島光成(2017〜現在) 英語部 安次富ケネス (1956~1959) 片木ローランド (1959~1961) 安次富ケネス (1961~1972) 木村蓮 (1972~1976) 桜井ジム (1976~1978) 黒田章 (1978~1980) 仲村ブライアン (1980~1987) 和田ヤスシ (1987~1990) E・J・キルボルン (1990年2月~5月) 大屋アルフレッド (1990~2001) 松永ジョン (1995~2000) 佐藤スティーブン (2001~2014) 仲村ブライアン (2016~2024) カテカワ リッチ(2026~現在)


証 ウエストロサンゼルス・ホーリネス教会 第四章
1994年9月4日には、かねてからサウスベイで家庭集会を持っていた教会員7名を中心として伝道所をスタート。後にサウスベイ・ホーリネス教会となり、地域の世の光として尊く用いられている。翌1995年には、松永ジョンの任命によってウエストロサンゼルス教会は祝福を受けることになる。彼はマスターズ神学校で学ぶためにハワイから来ていて、当初はユース・ディレクターであったが、その後、アシスタント牧師として奉職した。ところが、2000年8月、突然、腎臓病のため天に凱旋していった。「ビッグ・ジョン」という愛称での彼の働きは、今も語り草となっている。1996年に鈴木栄一はホノルル教会に転任し、後任としてサンロレンゾ教会から古山隆が遣わされた。 また1994年頃からは、ロサンゼルス教会とウエストロサンゼルス教会のユースからなる「ホーリネス・ユースクワイアー」が、これまで日本に8回、ブラジルに4回、時には2014年のようにアフリカのガーナにまで出かけて行ったこともあった。それら13回にも及ぶ海外伝道旅行での賛美を通して、多くの日本人や日系人教会、そして地元の人々を励まし


証 ウエストロサンゼルス・ホーリネス教会 第三章
1976年はアメリカ独立200年祭の年であり、その年に英語部の木村連はサンファナンド教会に転任し、桜井ジム隆が新しく赴任した。1980年には桜井の転任によって黒田章が任命された。 1981年には教会の25周年記念を祝い、同時に教団総会も開催された。その年に道城献一が滋賀県の近江兄弟社学園の校長として赴任し、鈴木栄一が後任となった。 1981年にはウエストロサンゼルス教会の創設に関わってきた吉本熊治が召されている。同年には仲村ブライアンが学生牧師として黒田章の後任となった。 1986年にサンファナンド教会で開かれた教団総会によって、仲村ブライアンが按手礼を受け、翌年、仲村の転任に伴い、和田ヤスが後任者となった。 1990年に、和田ヤスは教団から辞職し、OMSI宣教師のアーニー・キルボルンが次の牧師が任命されるまでの臨時牧師として奉仕をした。キルボルンの後には、ホノルル教会から大屋アルフレッドが任命された。


証 ウエストロサンゼルス・ホーリネス教会 第二章
当時の教会は、会堂とは名ばかりの解体寸前の古会堂であった。そこで1973年、新会堂建築について総会が開かれることになり、建築委員会が発足した。ところが、通常会計は教会運営維持に月々精一杯という状態で、経済的には零どころかマイナス状況にあり、新会堂を建てることは現実的にはとても可能とはいえなかった。そのような中、道城献一に、「主の家はこのように荒れはてているのに、あなたがたは、みずから板で張った家に住んでいる時であろうか」(ハガイ書1章4節)という御言葉が与えられた。これを主からの導きと信じた教会員は、神殿や城壁を建てたエズラ、ネヘミヤの信仰にならって、翌年の工事着工には10万ドル(建築費の総計は24万5千ドル)の献金を備えたのである。 1975年10月12日に、会員一同祈りに祈り、時間も財も労力も主に捧げて2年9ヶ月、感動のうちに教会の献堂式を迎えた。教団の諸先生をはじめ、遠近の姉妹教会、地域諸団体の方々総勢600有余人の列席のもと盛大な式典が挙行された。その日、道城献一は按手礼を受けて正教師となった。チャーターメンバーの一人で、今は天に凱旋して


証 ウエストロサンゼルス・ホーリネス教会 第一章
1936年、母教会の羅府ホーリネス教会より19名の信徒達によって、ウエストロサンゼルス・ソーテル地区の家庭集会が始まった。吉本熊治や中田カマ子らが、それらの集会のリーダーであった。太平洋戦争のために教会活動は中止されたが、戦争終結によって、1949年からロサンゼルス教会のリードで定期家庭集会が中田久常・カマ子宅で再開された。これがウエストロサンゼルス教会の土台となった。 1955年4月に会堂を購入し、19名のロサンゼルス教会員がウエストロサンゼルス教会に移籍してチャーターメンバーとなり、同年6月18日にウエストロサンゼルス・ホーリネス教会として正式に発足した。同時に吉本熊治が専任伝道師に任命された。当時の教会の周囲は今のような密集したアパートや商業地域ではなく、平屋の建物がほとんどで、のどかな住宅区域であった。教会は農業や庭園業に従事する勤勉で一様にのんびりした鷹揚な信徒とその家族で構成されていた。 1956年に安次富ケネス学生牧師が任命を受け、英語部の土台造りがスタートした。子供達も含め日英両語の教会として宣教活動が本格的に開始された。教会員に


証 池原勲 第四章
1955年6月18日 WLA Holiness 教会献堂 Los Angeles Holiness 教会で礼拝を守っていた19名兄姉が教会創立会員 チャーターメンバーとなる 宗教法人WLA Holiness教会として加州政府より認可 認可証:956066972 住所:11428 IOWA AVE.、WLA 、CA90025 この地域の旧例の場所として神様と信仰に燃えたつチャーターメンバーを起こしてくださった。 ペンテコステの聖霊はこのチャーターメンバーに注がれました。栄光在主、救霊に励んでおられた信仰の先輩方は信徒が増え会堂が狭く建物が古いので新会堂建築を夢見て祈り備えているときに隣の接地が売り出されたのを購入(現 駐車場) 1975年10月12日 新会堂の住所を 1710 Butler Ave.に変更 1994年9月4日 Torrance方面から熱心に通っていた7名の信仰の勇者は鶴田健二兄指導のもと South Bay伝道所を開拓 (現 South Bay教会) 伝道に励む。WLAHoliness教会の姉妹教会誕生。 「ガリラヤの人たち なぜ.


証 池原勲 第三章
当時の教会の財政状況は、通常会計精一杯、新会堂基金なし、駐車場借入金残 $4,000 あまり、新会堂建築費$245,000銀行は借入金を清算しないと金は貸さないとのこと。 最初の熱意が行動に現れて 喜んで捧げることができますように祈り、白紙に支払い終わるまで捧げますと信仰と...


証 池原勲 第二章
年月の経つにつれ、古い建物は費用がかかるようになり、改修、拡張には敷地が 狭い、新築をするには駐車場の問題があるし。息詰まって祈っている時、隣の建物が 売りに出された。(現在のparking lot) 新会堂の備えとして購入。 日頃...


証 池原勲 第一章
信仰の導き手であり また その完成者であるイエスを仰ぎ見て走ろうではないか ヘブル人への手紙 12:2 親兄妹の生活していた憧れのハワイに親の呼び寄せで単身渡ってきたのが1959年。 米国領土ハワイがアメリカ合衆国第50州になった歴史的記念の年でホノルルは祝賀ムードでした。...


米寿の証 矢葺正男 第七章
元々モーテルだった宣教センターには18の部屋がありましたが、各部屋に十字架を飾ることになりました。「イエス様と私の関係を表す縦木とそれを真ん中に挟んで兄弟姉妹との関係を表す横木」と教えられた通りに18個の十字架を手作りしました。それは寝食を忘れるほどに楽しい作業でした。今思...


米寿の証 矢葺正男 第六章
2004年1月「ハウス オブ シロアム 宣教センター」の第1回 礼拝が捧げられました。牧師夫妻、矢葺夫妻の4人の讃美歌が高らかに響き渡りました。私には見えませんでしたが、この時、部屋は煙に満ちていたようです。「安全な場所」を出てきた私たちに、主はこんなに祝福に満ちた場所をご...


米寿の証 矢葺正男 第五章
想いもかけぬ報告に待った!をかけられた私たちは、そのとき初めて自分たちの思いばかりで突っ走ってきたことに気つかされたのでした。その日から私たち4人は「自分に死なせてください」と泣き叫びながら祈り続けました。それから何週間か経って同じ不動産屋からロスアンゼルスから110キロの...


米寿の証 矢葺正男 第四章
「安全な場所を出て 人の足を洗いなさい」 アフリカ、ケニヤ宣教に参加した私は、祈りの中で主の語りかけを聞きました。安全な場所? 受洗以来お世話になり、長老として満たされた教会生活をいただいていた母教会 Mission valley FM...


米寿の証 矢葺正男 第三章
6年前から宣教に興味を持ち始めました。 2002年、アフリカのケニアへの宣教へと導かれました。奉仕に備えてのdiscipleshipとMentorについての訓練を毎週受けました。出発前より色々な問題が起きました。膝に水と血が溜まり、旅は無理かなと諦めかけていましたが、祈りつ...


米寿の証 矢葺正男 第二章
第一回 ブラジル 宣教 私たちは今まで 宣教師を送り出す役目をさせてもらっていました。しかし 1995年 今回は自分たちに宣教命令が下されました! 人の前で話をするなんて! 2週間も仕事を休むなんて!私にはできない 2週間の宣教奉仕ですが様々な準備が必要…!...


米寿の証 矢葺正男 第一章
私は今年 米寿を迎えました。1953年 学生ビザでハワイに留学し、2年後にロサンゼルスに移り住みました。 学生ビザのまま7年が過ぎ、そろそろ落ち着いてアメリカに住みたいと思い、永住権について友達に相談したところ、「市民権のある女性と結婚するのが一番早い」と教えてくれました。...
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