top of page


証 池原勲 第三章
当時の教会の財政状況は、通常会計精一杯、新会堂基金なし、駐車場借入金残 $4,000 あまり、新会堂建築費$245,000銀行は借入金を清算しないと金は貸さないとのこと。 最初の熱意が行動に現れて 喜んで捧げることができますように祈り、白紙に支払い終わるまで捧げますと信仰と...


証 池原勲 第二章
年月の経つにつれ、古い建物は費用がかかるようになり、改修、拡張には敷地が 狭い、新築をするには駐車場の問題があるし。息詰まって祈っている時、隣の建物が 売りに出された。(現在のparking lot) 新会堂の備えとして購入。 日頃...


証 池原勲 第一章
信仰の導き手であり また その完成者であるイエスを仰ぎ見て走ろうではないか ヘブル人への手紙 12:2 親兄妹の生活していた憧れのハワイに親の呼び寄せで単身渡ってきたのが1959年。 米国領土ハワイがアメリカ合衆国第50州になった歴史的記念の年でホノルルは祝賀ムードでした。...


米寿の証 矢葺正男 第七章
元々モーテルだった宣教センターには18の部屋がありましたが、各部屋に十字架を飾ることになりました。「イエス様と私の関係を表す縦木とそれを真ん中に挟んで兄弟姉妹との関係を表す横木」と教えられた通りに18個の十字架を手作りしました。それは寝食を忘れるほどに楽しい作業でした。今思...


米寿の証 矢葺正男 第六章
2004年1月「ハウス オブ シロアム 宣教センター」の第1回 礼拝が捧げられました。牧師夫妻、矢葺夫妻の4人の讃美歌が高らかに響き渡りました。私には見えませんでしたが、この時、部屋は煙に満ちていたようです。「安全な場所」を出てきた私たちに、主はこんなに祝福に満ちた場所をご...


米寿の証 矢葺正男 第五章
想いもかけぬ報告に待った!をかけられた私たちは、そのとき初めて自分たちの思いばかりで突っ走ってきたことに気つかされたのでした。その日から私たち4人は「自分に死なせてください」と泣き叫びながら祈り続けました。それから何週間か経って同じ不動産屋からロスアンゼルスから110キロの...


米寿の証 矢葺正男 第四章
「安全な場所を出て 人の足を洗いなさい」 アフリカ、ケニヤ宣教に参加した私は、祈りの中で主の語りかけを聞きました。安全な場所? 受洗以来お世話になり、長老として満たされた教会生活をいただいていた母教会 Mission valley FM...


米寿の証 矢葺正男 第三章
6年前から宣教に興味を持ち始めました。 2002年、アフリカのケニアへの宣教へと導かれました。奉仕に備えてのdiscipleshipとMentorについての訓練を毎週受けました。出発前より色々な問題が起きました。膝に水と血が溜まり、旅は無理かなと諦めかけていましたが、祈りつ...


米寿の証 矢葺正男 第二章
第一回 ブラジル 宣教 私たちは今まで 宣教師を送り出す役目をさせてもらっていました。しかし 1995年 今回は自分たちに宣教命令が下されました! 人の前で話をするなんて! 2週間も仕事を休むなんて!私にはできない 2週間の宣教奉仕ですが様々な準備が必要…!...


米寿の証 矢葺正男 第一章
私は今年 米寿を迎えました。1953年 学生ビザでハワイに留学し、2年後にロサンゼルスに移り住みました。 学生ビザのまま7年が過ぎ、そろそろ落ち着いてアメリカに住みたいと思い、永住権について友達に相談したところ、「市民権のある女性と結婚するのが一番早い」と教えてくれました。...
bottom of page